東北のある寂れたライブハウスで、可もなく不可もなくのライブがおわった。残った客たちとの酒盛りは、フォーク華やかしころのむかしばなしで盛り上がる……その日の演者、フォーク・シンガー・有賀陽一をのぞいて。
「――もういいよ、昔の話は。そろそろ勘弁してくれないか。」
というきもちは、冗談じゃない、おれの歌はむかしばなしの肴じゃないんだ、とでもいえばいいのか。お先に失礼と、用意されたせまくるしいビジネスホテルにはいっても、ねむれやしない。街のネオンがみえる。すこし飲むかな…。
『歌い屋たち』(文藝春秋/なぎら健壱著)
を読んだ。主人公の有賀を、なぎらさんとおもって読むことのできる、帯にある「自伝かフィクションか」というような小説だ。出たばかりで、いま書店にあるよ。
うえに書いたのは、ほんの導入部だけれど、むかしは良かったな、とか、あのころは、なんてはなしに対する、現役の「歌い屋」としての反発がかんじられるところだ。そうだ、いまもむかしも「歌い屋」なのだ。プロなのだ、フォークソングを愛しているのだと。
主人公は、静かな飲み屋小路の一軒で飲みはじめる。と、年季のはいったアコーディオンをかかえた男があらわれる。流しだという。店のおばちゃんにうながされてリクエストした曲のひとつが、かれを三十年もむかしにへと、記憶をつれていったのだった。
小説はここから、ほんとうにはじまる。フォーク好きの若者が、プロ、ひとりの「歌い屋」となっていく姿が、就職した町工場での日々と出会い、そしてアングラ・フォークの全盛時代の空気になかに描かれていく。すぐに読めてしまう小説だから、ここからは、じっさいに読んでほしいな。
ちなみに、ここでいうフォークとは、高田渡や加川良、出てはこないが、遠藤賢司・西岡恭蔵・友部正人なんかの、あーゆーもので、さだまさしみたいなものでは、ナイ。知らないよというひとは、なぎらさんの
『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫)
を読んでね。