辞書をやぶく。

 風邪からようやく回復する。いやはや。ひきはじめに午前で早退けしたら、「また風邪?病弱!!!」 びょ、びょーじゃく!ううぅ。

 この数日は横になってばかりだったが、本はいくらか読んだ。
 『聖書 これをいかに読むか』(中公新書/赤司道雄著)
 『サイコーですか?最高裁!』(光文社/長嶺超輝著)
 『禁煙の愉しみ』(新潮OH!文庫/山村修著)
 『ギリシア神話を知っていますか』(新潮文庫/阿刀田高著)
 『ギリシャを知る 世界遺産とエーゲ海』(PHPエル新書/萩野矢慶記著)
 『広辞苑を読む』(文春新書/柳瀬尚紀著)
 『ギリシア・ローマ古典文学案内』(岩波文庫/高津春繁・斎藤忍随著)

 『広辞苑を読む』は五版がまだ新しかったころのもの。で、六版の発売が話題だが、さいきんの辞書がらみ(?)でイチバンの発言はやっぱり和泉元彌ですよね。
 〈「浮気と自殺と離婚は僕の辞書にはない」〉。
ナイ項目を三つも挙げたところがあたらしい。

 そういえば、新版「広辞苑」で「大辞林」を引くと・・・という記事がおもしろい。これは、「虚構新聞」に出ている。

 まぁ、それはいいとして。気づいたら辞書についての本がずいぶんと手元に集まった。タイトルになくても、例えば『読書大全』(講談社/植田康夫編)の第二章が「引くたのしさ・読むよろこび 辞書とつきあう」だったり。この本はこの章だけ読んだが、とてもおもしろかった。
 
 辞書エッセイでの大ネタをいくつかあげると、『言海』(著者の大槻文彦、芥川の「猫」)、『新明解国語辞典』(赤瀬川「新解さん」他)、『広辞苑』(礼賛、批判、成立・改訂裏事情)、英和辞書を食べて覚える、煙草の巻紙にする。このあたりが横綱大関クラスではないかしら。
 といっても、「食べる」「煙草」のばあい、頻度は高いが話が大きく膨らむことは稀な気がする。

 先にあげた『読書大全』にも、「煙草」はもちろんある。ちなみに「煙草の巻紙にする」というのは、戦中戦後、煙草の入手が不自由なころ、煙草の葉(代用、吸い殻も)を辞書(三省堂のコンサイスが最適、とか)の紙(インディア・ペーパー)で巻いて吸った、というもの。
 〈私は戦争中南の島で、英和辞典の紙でタバコの葉をくるんで吸ったのを思い出す。Zから破っていって、大半がなくなったころ終戦になった。ABCしかない英和辞典を読みながら、苦いインドネシア・タバコを吸っていた〉(奥山益朗)
といったふうである。

 印象に残ったのは松永伍一の「胸のなかにひろがる空白」だ。奥山益朗のものとは、逆のパターンになる。

 〈一九四五年、辞書とはまるで縁のない世界(軍需工場)へ送り込まれてしまった。〉〈しばらくして、私の英語の辞書に災厄が及んだのである。〉〈近所の中年の男が久しぶりに顔を出した。〉〈ポケットから紙包みを出し、「英語の辞書を少し破ってくれんか」と言い出した。ゲンノショウコとナスの葉をかげ干しにしたもので、「女房に用意させておいた」と話した。私に「もう英語は役に立たんので、辞書もいらんだろう」と笑いながらそれを要求したとき、不愉快な顔を私は見せたはずである。〉〈煙草巻き器をわが家の算盤を借りてつくりあげ、「すまんな」と懇願した。「配給の煙草では足りんし、飯もろくに食えん日もある」と言ったとき、私はコンサイスの英和辞典の最初の方の「まえがき」やら「凡例」やらの十項分ぐらいを引きちぎって、「これだけだよ」とかれの油で黒ずんでいる掌にのせてやった。「空白ができた」とおもった。私は薄い夏蒲団を頭から被って寝た。眠れなかった。〉

 自分で吸うため破いて煙草を巻いた話と、他人に頼まれて自分の辞書を破く話。読む側の好みがわかれる気がする。とくに後者には、共感と反発がまじりあうところがあるように思う。辞書エッセイにはこれを感じることがよくあるのだが。どうだろうか。 
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by taikutuotoko | 2008-01-23 13:42 | 本・雑誌・新聞・書店


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