『偽満州国論』(河出書房新社/武田徹著)
を、いま読みおえたばかりだ。
ぼくのところでもリンクさせてもらっている「読書手帖 / 引用の織物」で、ジャーナリスト/評論家の武田徹さんの本をとりあげている。ぼくも武田さんのは何冊か読んでいるから、じゃあぼくも、とおもって、まだツンドク状態のがあったから、これだな、と読んだわけ。
中国にとっては、「満州国」は「なかった」。それも徹底的に。だから、いまのこっている「満州国」時代の建物には、「偽」がついている、という。「偽国務院、偽皇居、偽法務院……」と。
さいしょのこのエピソードからいきなり、ぼくはこの本にのめりこんでしまった。
でも、この本は、「満州国」についての本、ではない。「満州国」と、それに関係した人物や本などから、「国家」そのものを語っているんだ(ほんとうは、それもちょっと違うんだけど、それは自分で読んで、とした方がおもしろい)。だから、「偽」なのは、「満州国」でもあり、「近代国家」そのものでもある、ということ。
いぜん、清沢洌の本の話をかいたけど、この本では、清沢が重要な位置をしめる。
本論のスタートは、清沢の「甘粕と大杉の対話」という架空対談(『清沢洌評論集』(岩波文庫)に収録されているよ)が、かなり長めに引用されるところからだし。
さいわい、この本はまだ品切れにも絶版にもなってないようなので、ぜひ実際に読んでほしいから、この先はあまり書かないけど、大杉栄や甘粕正彦、石原莞爾・吉本隆明・石橋湛山・宮沢賢治…という名前にひっかかりがあるひと、「国家」と言葉の関係、そしてインターネットと「国家」、に興味のあるひとは、とってもスリリングな読書タイムをすごせるとおもうよ。
ぼくとしては「星ッ、みっつですっ!」だ。
武田さんについては
『批評の事情 不良のための論壇案内』(原書房/永江朗著)
でとりあげられているから、どうぞ。