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溜息ついて頁をめくる。

 きょう(きのう)は、「よく歩いたなぁ…」ということくらい。(追記:百円本リストをつくっていたら、一冊だけ古本を買っていたことに気づく。光が丘ちかくの「古本市場」に寄ったのだ。
 『過去への電話 SF傑作短篇集』(旺文社文庫/福島正実著)
を買ってました。一〇五円。)

 夜になってから、小林信彦さんの『東京少年』(新潮社)を半分ほど読む。

 「Love Books」12月のターゲットで、一二月に
 『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』(新風舎文庫/菊地敬一著)
が出ると知る。単行本は積ン読のままだし、永江朗さんの『菊地君の本屋 ヴィレッジヴァンガード物語』(アルメディア)は「ブ」で買ってきたばかりだった。読んでおかないと、と思うが、「ヴィレッジ・ヴァンガード」で本を買ったことってないなぁ。店のあるところにほとんど行かないので。


 まえのエントリーで、解説をまとめた限定版ちくま文庫がもらえるゾ、ということを紹介したが、直接カンケイはないがそれでちょっと思い出したブログ記事があった。

 「解説」の前にはたいてい「あとがき」があるが、その「あとがき」について、「本と屁爆弾」の本のここがかゆい・「あとがき」と元号にこんなことが書いてあった。

 〈勝手な話だがあとがきは先に読みたい。しかし本文の最後の行はあくまでも「最後に」読みたいのだ。たとえば宮本輝の小説は物語の最後の行がとりわけ美しく、すべてをスパッと絶ち切るような躊躇のない幕のおろし方によって結末に大きな余韻を与える。話の終わりに未練がましい蛇足を付着させない作家の一人だと思うが、氏の作品に限らず小説の最後の行は最初の第一行目と同じくらい作家の胆入りの部分だと感じるだけにあとがきと一緒にうっかり先に目に入れるのは避けたい。もし造本の過程であとがきは必ず右側から始めるというような規則性でもあればあとがきを先に読みたい読者には助かるんだがなあ、てなことをたまに思うわけである。〉

 ぼくは八割方、あとがき・解説は本文のあとに読むのだが、〈小説の最後の行は最初の第一行目と同じくらい作家の胆入りの部分だと感じるだけにあとがきと一緒にうっかり先に目に入れるのは避けたい。〉というのはたいへんよくわかる。空白のページがあっていいから、本文のおわりから「あとがき」までには、頁をめくる作業があった方がいいなぁ、といつも思っていた。
 そういうつくりの本を読んだときの、溜息をつくような感じで空白の頁をゆっくりとメクるあの瞬間は、読書のヨロコビのうちのひとつだと思うのだけれど。
by taikutuotoko | 2005-11-12 02:32 | 本・雑誌・新聞・書店


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