〈ある時、酒場で、三十代後半の男ばかり四人で、飲んだくれているうちに、カレーライスの話になった。そして話題は、いつしか、「翌朝のカレーの楽しみ」というテーマに移った。〉
『屋根にのぼれば、吠えたくなって』(角川文庫/永倉万治著)
を読んだ。「昭和三十年代のカレー」というエッセイに、この翌朝のカレーのはなしが出てくる。
ぼくは正直いえば、翌日のカレーより、作ってスグのカレーの方が好きではある。ジャガイモ好きなので、煮過ぎると溶けてしまうのがモッタイナイ、というのがひとつ。翌日のカレーは水分が飛んでいる気がして温めるときに水を足すのだが、その分量をまちがえてしまい、妙にサラサラにしてしまう、というのもある。
でも、〈朝めしの時に、前の晩のカレーが残っていると知った時の、ほのかな喜び〉というのは、わかるわかる。
〈「お前、その時、皿で食うのか、それとも茶わんか?」と妙に食器にこだわる。
「朝のカレーは、これは、茶わんで食べなくちゃ」
「あっ、俺もそう」
と、それぞれに「朝のカレー」のスタイルについて言及しているうちに、どういう加減か、四人とも「夜は皿で食べるが、朝は、茶わんとはしでカレーを食べるのが好き」という意見の一致を見た。〉
わっわっわっ、と、ぼくは思ったね。なんだ、みんな、朝のカレーは茶わんで食うのか。やっぱり。しかも、箸だ。うん。お茶も飲むね、熱い緑茶。このお茶がウマイの。辛くって。
で、もう一杯食ってガッコに行こう、と思うのだけど、そこは遅寝遅起のガキの悲しいところで、おかわりしている時間がない。母親に、「帰ってきてから食べるから、残しておいてよ!」といって、家をとびだすのだ。
で、帰宅してから鍋を覗くと、あれまカラッポ。「お母さん!」 「あ~、カレー、お父さんが食べちゃったよ」 父の職場はウチから五分のところにあって、たまに昼メシを家に食べにきたりするんだった。ひきょうだよ、とうちゃん!
『セカンド・ライン エッセイ百連発!』(朝日新聞社)
を読んだ。文庫版の『明日があるさ』(朝日文庫)については、九日の「
新・読前読後」をどうぞ。