平凡社新書は平凡社、『平凡パンチ』は平凡出版(現・マガジンハウス)。ちょいと、ややこしいなぁ。
『平凡パンチ1964』(平凡社新書/赤木洋一著)
を読んだ。今月の新刊。
著者の赤木さんは、『アンアン』の編集長や、マガジンハウスの社長もつとめたひと。前回紹介した小林泰彦さんの本とあわせて読むと、たいへんおもしろいぞ。(「イラスト・レポ」の原型は、赤木さんが泰彦さんに、好きにやっていいよ、と、まかせたときのもので、それに石川さんが注目した、ということだ)
一九六四年といえば、東京オリンピック。赤木さんが平凡出版に入社し、創刊スタッフとして『平凡パンチ』誕生にかかわったのも、この年だった。
平凡出版という個性的な会社、同僚たち。そして、大橋歩、伊丹十三、小林泰彦、中原弓彦(小林信彦)、岡田真澄、高田賢三、横尾忠則……といった多彩な才能たち。雑誌づくりがそのまま時代の先端との接触だった。
『平凡パンチ』、それから『平凡パンチデラックス』の編集者としてすごした赤木さんの六〇年代とは、どういうものであったか。どうです、おもしろそうでしょう。
当時の『パンチ』編集部の雰囲気を知るのに、おもしろいエピソードがあった(というよりも、この本はそういうエピソードにあふれている)。
赤木さんが、モナコについての原稿を書いているとき、デスクに、広辞苑はどこにあるか、と聞くと
「この部屋に広辞苑はありません。」
「きみが広辞苑を見なければならないようなコトは書かなくていいです」
といわれ、絶句する。
さらに、面積を調べる必要がでてきて、(なんと!)「社長室に平凡社の百科事典があるはず」ということになって、深夜、守衛をおこして、社長室へ。ずらっと並んだ百科事典の「も」のハコを引き出すと……ハコだけで中は空。社長室の百科事典、ほとんどハコだけ。
それでデスクはこう言った。
「それでは鎌倉の澁澤龍彦さんに電話で訊いてください。あの人は一晩中起きているから」
深夜に、モナコの面積を澁澤龍彦に電話できこうだなんて、すごいはなしだなぁ。