2004年 10月 06日 ( 2 )

古本屋と万札。

 帰りに古本屋に寄ったのだけど、なにも買わず。風邪気味なのと、ここ数日は本を買ってなかったために、本買いのカンが鈍っているのかもしれない。

 ほんとうは、一〇〇円均一棚にあった
 『私の食物誌』(中公文庫/吉田健一著)
を買うつもりだったのに、財布には万札しかはいってなくて、万札で均一本を一冊というのもわるいなぁ、とおもい、あきらめたのだった。いまになって、やっぱり読みたくなってきちゃったけれど。

 古本屋と万札、ではこんな経験をしたことがある。

 都内のある古本屋。レジには、かなりヨボヨボのご老人がひとり。ほとんど客のこない店なので、それでもつとまるのだろう。ぼくは二冊の本をレジのご老人に差し出した。
 「あ、に、二〇〇〇円。」
 「すいません、これでおねがいします。(と、万札を)」
 「あ、あ。」
 老人が、レジのまわりをいろいろとさがしだした……一分はたったか。どうも、おつりがないらしい。ぼくは、じゃ、いいですと本をもどそうとした。と、ご老人はその本をグッとつかんで
 「お、おまちを」
というと、電話をかけだしたのだ。待つこと、五分。店主らしい中年男性が、おつりをもって店にやってきたので、ぼくはやっと会計をすませ、店をでた……その瞬間、店の中から、ご老人を叱責する男性の大声がきこえてきたのだった。

 ああ、ごめんなさいな、ご老人。古本屋で万札を出したぼくがわるかった。
 
 そのあとは、いちどもその店にいくことはなかったが、ある日その前を通ると、看板ははずされ、シャッターがおりていた。
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by taikutuotoko | 2004-10-06 21:16 | 本・雑誌・新聞・書店

「新聞と読者」。

 十月五日の「朝日新聞」夕刊に掲載されていた、丸谷才一さんの『袖のボタン』(「新聞と読者」)に、こんなことが書いてあった。

 〈わたしはかねがね、日本の新聞の読者投稿欄には自己身辺のことに材を取った感想文が多すぎると思っている。むしろ新聞のニュース、写真、論説、コラム、評論などに対する賛否の反応を寄せるのが本筋ではないか。〉

 丸谷さんによると、イギリスの週刊新聞での投書は、〈読んだばかりの紙面をきっかけに対話し、論証しようとする。公的である。〉のだそうだ。対して、〈私的であり、独白的であり、情緒的になりがち〉な日本の投書は、〈その抒情性において短歌俳句欄に劣らないことがしばしばだ〉とも。

 ぼくには、今月いっぱいで切れる新聞の契約どうしようか問題が持ち上がっていることもあり、これには興味をもった。丸谷さんのいうことに、(イギリスのがどうかは知らないが)そのとおりだなぁ、とおもう。いまの投稿欄なんて、おもしろくないものなぁ。

 ぼくの新聞利用の現状はというと。
 いちおう、休日には、図書館で各紙にかんたんに目を通すことがおおい。購読紙は、実家がずっと「朝日新聞」だったこともあり、いろいろと不満はあるのだけれど、ぼくも「朝日」をとっている。たんに「慣れ」の選択だ。来月からは、他紙を購読するかもしれないし、駅売りのを買うのでもいいかなとおもっているが。
 報道記事よりも、コラムやエッセイ、評論に書評といった、読み物の方を好む読者だ。だから、夕刊の方が好き。あと、しょうじきにいうと、いちばん大事なのは、書籍広告かも。

 新聞がつまらないのは、全国紙というあり方がよくないのかも、という面もあるようだ。といっても、地方紙もつまらんけれど。

 『新聞ジャーナリズム』(日経BP社/ピート・ハミル著/武田徹訳・解説)
は、そんなにむずかしい本でないし、おもしろかった記憶がある。ピート・ハミルというと、「幸福の黄色いハンカチ」の原作者だね。

 いまぼくが読んでいるのは
 『ニューヨーク・タイムズ物語 紙面にみる多様性とバランス感覚』(中公新書/三輪裕範著)
で、一九九九年に出た本。新刊当時にいちど読んだので、再読ということになる。まだ、途中。
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by taikutuotoko | 2004-10-06 02:32 | 本・雑誌・新聞・書店