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はじめとおわりの十六日間。

 あの戦争については、ぼうだいな記録や作品がのこされた。
 彼ら、彼女らが、なにをし、なにをされ、なにを見て、なにをかんがえ、なにを失い、なにを残そうとしたのか。そして、読み手は、そこから、いったいなにを得ていけばいいのだろうか。
 
 『同日同刻 太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日』(文春文庫/山田風太郎著)
を、終戦記念日にあわせて読んだ。安易かもしれないが、八月十五日あたりに、戦争についての本を読むことは、それでもいみがあるとおもっている。

 副題のとおり、「太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日」について、あらゆる立場からの資料(米国側のもあり)から、引用をまじえて、その「同日同刻」を再現する、という本だ。
 
 もちろん山田風太郎は『戦中派不戦日記』という一級資料をのこした山田誠也であるわけで、戦争を(国内で)じっさいに経験(ということばでいいかわからないが)している。だからだろう、他人の記録や作品によって成立している本であるにかかわらず、風太郎の著作いがいのなにものでもないというものになっている。また、戦争のなかで「同日同刻」を生きた他人は、たんなる「他人」ではない、ということもいえるかもしれない。

 印象的なところは、すべてである、というのではこまるから、悲惨さや愚かさというものとはべつに、こういうところもかんたんに紹介しよう。(作家・野口富士男の「暗い夜の私」)

 野口は、開戦の日、もうアメリカ映画は観られなくなるだろうと新宿の「昭和館」へ出かけた。すると、まばらな客にたいして、上映されていたのはキャプラの『スミス都へゆく』。

 この映画をご存知であれば、なんとふしぎな光景であろうか、とおもわれただろう。アメリカの理想を撮る監督であるキャプラの名作のひとつで、理想主義的な政治ドラマだ。(小林信彦さんが田中康夫・長野県知事について、この映画をもちだして書いたコラムがある)

 開戦時の作家たちの反応、原爆、終戦工作。これらもじつに印象的だ。この本から、それぞれの本に手をのばすのもいいとおもう。

↑:この本、絶版か品切れのようす。気になったひとは、古本屋をさがしてください。
by taikutuotoko | 2004-08-17 15:56 | 本・雑誌・新聞・書店


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