片岡さんは、さいしょ、この晶文社「シリーズ〔日常術〕」の一冊として、「〔時間術〕」を書くというつもりだった、という。それが、編集者たちとの話しあいのなかで
「面白い本を夢中になって読んでいる時間は、どう考えても肯定的な時間なのだと言えるなら、時間術は読書時間術へと変更したほうが面白くなるのではないだろうか、とぼくたちの意見は一致した。」
のだ。そしてそれは、たいへんに成功している。
『片岡義男〔本読み〕術・私生活の充実』(晶文社/片岡義男著)
は、百数ページしかない本なので、すぐに読めてしまった。
このなかで、片岡さんは、洋書をとりあげて、片岡さんの〔本読み〕術をひろうしている。かれが撮った、本の写真も、とても、いい。そして、庭の椅子にすわりながら、テーブルに、足をあげているという本人の写真は、片岡さんでなければ、なかなか似合うものではないね。
「ぼくのストーリー術は灰皿から始まる」という章では、片岡さんの小説観が、このようにあらわされていて、興味ふかい。
「ひとりの作家が、何人もの登場人物たちを、ああ思った、こう思った、と書いてしまうのは、いいことではないと、ぼくは思うのです。どうにでも書けるわけですから、技術的にもそういう書きかたは幼稚ですし。彼はこう言った、彼女はこうした、という言葉や行為の描写による概観が、その人それぞれのぜんたいである、という書きかたがぼくは好きなので、そうしているのです。そうしないと気持ちが悪いし。」
ぼくはこれまで、エッセイばかりで、片岡さんの小説はあまり読んではいないのだけど、こんど読んでみようという気になったよ。