『終着駅』(中公文庫/結城昌治著)
を読んだ。『海』に掲載された連作小説で、単行本が八四年、文庫が八七年刊。
きのうのエントリーに、〈イモリは金玉が六つある〉てなことが読みかけの小説に出てきたがホントかい、というようなことを書いたが、これのこと。
戦後闇市のころだ、防空壕に住んでいた「ウニ三」が変死体で見つかる。生前まわりの人間には、毎日ウニばっか食べていたことがあるから「ウニ三」だなどと触れまわっていたが、誰も本名すら知らない。
巡査が「ウニ三」の知人たちに話をきいてまわるんだが、そこで野村って男の話のなかに
〈ウニ三は旅先からいちいち便りを寄越すという義理堅い面があって、イモリは金玉が六つあるなんて知っていたのもウニ三だけだった。山ちゃんも感心してました。〉
てな部分があるのだ。
イモリのお玉は六つかい!とオッ魂消げて、もしホントウなら次から「イモリ」だなんて呼び捨てにできないゾ、「イモリ先生」とお呼びしなくては、などと思った。
しかしまぁ、なにせホラ吹きと目されている「ウニ三」が言っていたらしい話であるし、いやもしかしたら「イモリはお玉が六つもあり、食べると精力がつく」なんていうような言い伝えが漢方や民間療法あたりにあるのかしら、などとも考えたのだが。
で、読み進めるも謎はとけぬまま帰宅すると、この話題に反応してくださった奇特な方が。「かわうそ亭」さんから
イモリは見ずや君が袖振るのTBをいただいており、さっそく覗いた。で、これがおもしろいのよ。
けっきょく、『終着駅』をさいごまで読んでもこの謎はとけず、というより、その後いっさいこのイモリの話は出てこないのだが。小説自体はとてもおもしろいが、さて、結城さんはなぜここでイモリのお玉のハナシなんてしたのでしょうか。たまたま、思いついたのかしらネェ。
奥崎謙三さんが亡くなったそうで、じつはぼくは『ゆきゆきて、神軍』を観ていないからいまひとつピンとこないのだけど。ただ、きょうの「
千人印の歩行記」は興味ふかく読んだ。