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読書するする、読書する。

 『恥ずかしい読書』(ポプラ社/永江朗著)
を読んだ。出たばかりの新刊。

 といっても、ポプラビーチに永江さんが連載している「正しい読書、異常な読書」が単行本になったものだから、(ぼくは)ネット上でいちど読んであるわけだし、いまでもネット上でバックナンバーを読むこともできる。わざわざ単行本を買うかどうかは、本というカタチに一三〇〇円+税を払うかどうか、ということになる。ま、すこしオマケがあるけれどね。

 ポプラビーチ(つまりネット上)で読むとしても、あまりゴチャッとはしていないから、読みやすい。文章もやさしいから、こまることはないだろう。何が書いてあるかわかれば、それでいいというひとは、この本を買う必要はないね。
 でも、本として手元に置いておきたい。好きなときに好きな場所で読みたい。そういうひと(ぼく)が買う、ということになる。

 こういうことは、インターネットなどの普及した現在では、どんどん増えていくだろうとおもわれる。そうなると、「本」というものの性格は、今とはちょっと変わってくるはずだ。すでに、一部では変わりはじめている。
 
 欲しい(読みたい)文章があるばあい、いままでは、「本」(あるいは雑誌)というカタチで、その文章に接してきたわけだ。それが、インターネット・電子ブックなどの出現で、多様化した。それでもなお「本」にこだわるならば、「本」についてもっと考えないといけない、ということになるだろう。

 この本の帯には、なぜ「本」でなければならないか、について、ひとつの答えになりそうなことが書いてある。

 〈本は、いかようにも読めるのです。〉

 そのとおり。いかようにも読めるから、ぼくはこの単行本を買ったんだ。
by taikutuotoko | 2004-12-06 19:40 | 本・雑誌・新聞・書店


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