もうすこし早い時期に小千谷に行くつもりで、もっていくなら漱石の『我輩は猫である』の文庫本だろうかなどとかんがえていたのだけど、二週間もたつと、情勢が変わる(「猫」は、実家にもあった)。
家族は避難所から自宅にもどるし、歩いて二分の本屋は営業を再開したと聞いたので、『猫』ではナイものを三冊、カバンにつめて小千谷へむかったのだった(きょう、東京にもどってきた)。
けっきょく、高速バスと実家の布団のなかで読みおえたのは
『高い窓』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ/レイモンド・チャンドラー著/田中小実昌訳)
『都市という廃墟 二つの戦後と三島由紀夫』(ちくま文庫/松山巖著)
だけで、読みかけになっていた
『怪奇探偵小説名作選10 香山滋集 魔境原人』(ちくま文庫/香山滋著/日下三蔵編)
には手をつけられなかった。
いま、この三冊を見てみると、被災地に向かうのに携帯する本としては、あんまり適当ではなかったような気もするなぁ。
実家には、ぼくの本棚が残っていたのだけど、さしてあった本はすべて散乱。いい機会だからと、それらのほとんどを処分することにした。帰省したときにそこで買って読みおえたものなど、わりと最近の本もあったが、それも処分してしまうことにして、紐でしばってきた。
が、ほとんどはむかし読んだ本たちで、戦国武将がどうしたとか、江戸の町民の暮らしはどうだとか、三国志がどう、野球選手がどう、などなど、みな雑学的で、文学的なものがほとんどないのには我ながら笑ってしまった。
いまも文学がよくわからないのは、こどものころの読書に文学の要素がほとんどなかったから、ということもあるのだろうか。まぁ、そんなことは関係なく読ませるのがほんとうの文学だったりするのだろう。どうでもいい、おもしろければ。
あのころは、精一杯ブンガクして、北杜夫だったものな(エッセイのおかげで、小説にも入りやすかった)。漱石だって、「猫」や『坊っちゃん』、『草枕』と『三四郎』くらいで、ほかのものには、当時は手をつけなかった。鷗外なんて読まなかった。太宰の『晩年』があったが、どんな顔して読んでいたのだろう。(すべて東京に持っていったが)小林信彦も、小説よりはまずはコラムという感じであったし。
コナン・ドイルのホームズ物は何冊もあったので、処分するまえに、久しぶりに『赤毛組合』やら『白銀号事件』『まだらの紐』などをひろって読んだ。なんだ、いま読んでも、けっこう愉しめるもんだ、などと、うれしかった。