いま、部屋が本でぐっちゃぐちゃ。どういうわけで、というのは長くなるので、ゆっくりいきましょう。帰りに、江古田に寄り道してきたのが、きっかけなんだけど。
まず、ブックオフで
『マイ・ラスト・ソング あなたは最後に何を聴きたいか』(文春文庫/久世光彦著)
『みんな夢の中 続マイ・ラスト・ソング』(文春文庫/久世光彦著)
『見た芝居・読んだ本』(文春文庫/戸板康二著)
を、あわせて七〇〇円で購入。
つぎにはいった古本屋で本をえらんでいると、レジの方から聞こえてくる会話が、やたらとおもしろい。見てみると、ひげと服装がばっちりキマった初老(?)の男性客―あとでわかったのだが、すぐとなりにある大学の先生らしい―と、若い男性店員がはなしているところだった。ぼくは、ちかくの棚を見ながら聞き耳をたてることにした。
荷風、鏡花、三島のはなしがおわってから、植草甚一のことになった。
店員氏によると、「植草さんが亡くなってから、本はバラバラになったけれども、レコードはすべてタモリが譲り受けた」のだという。ほんとかね。高平哲郎の関係でかな。真偽のほどは、わからん。
深沢七郎の今川焼屋「夢や」の包装紙が、いまやいい値がついている、なんてはなしも店員氏。ふうん。
むかしの学生で、あやしげな出版物を出しては消えるやつがいて、ぼくもあやうく名前をつかわれそうになったよ、なんていうのは、先生氏。
まだまだおわりそうもないが、いつまでも居られない。ふたりのはなしにつられて
『植草甚一 ジャズ・エッセイ1』(河出文庫/植草甚一著)
『ニューヨーク五番街物語』(集英社文庫/常盤新平著)
『ニューヨーク大散歩』(新潮文庫/久保田二郎著)
『独身者の科学』(河出文庫/伴田良輔著)
を、あわせて七〇〇円。植草さんの文庫本はあんまり見ない。三〇〇円だった。
会計もおえたし、帰ろうか、とおもったら、先生氏が店員氏にこんなはなしをしだした。
「大村っていうひとの『ぶんだんえいがし』っていう本がね……」
「映画?」
「栄えるの栄華。『文壇栄華史』っていう本なんだけど」
「あの、その本て、大村彦次郎さんの『文壇栄華物語』ではないですか」
と、つい、ぼくは口を出してしまった。
「ん、そう。それです。あなた、読みました?」
「いえ、でも、『文壇うたかた物語』なら」
「ほんとですか、いや、じつは私、『うたかた』をさがしているんです」
「なんなら、お貸しいたしましょうか」
きけば、あと一時間ほどは店にいるという。ぼくの部屋まで歩いて片道二〇分もかからない。では、いま持ってきましょう、と約束して、ぼくはいそいで家に帰ってきた。
ところが……必要な本は見つからない。そういうものだ。
あの箱、この箱、いやこの下だろう、ない、ん~そうかアレだ、ない!だんだん汗もかいてくる。見つからない。部屋の中には本があふれてしまった。約束の時間はせまる。見あたらない。もうだめだ。
とりあえず、古本屋に電話をかけ、時間に間に合わない旨をつたえ、見つけたらその店に預けておく、ということになった。
どうしてないのだろう。ぼくは呆然と、本の海と化した部屋に立ち尽くしていた。と、目の前に、まだ確認していない、ちいさな箱があるのに気づいた。でも、これは文庫しかはいっていないハズだ。まさかね……とひらいてみると、あった!文庫ばかりをつめたところ、単行本一冊分の隙間ができ、そこにすっきり収められていたのだ。あぁ。
さがしものは、いちばん近いところにあるが、気がつかない。そういうものだ。
というわけで、本は店に届けてきた。いやはや、疲れた。これが、部屋ぐちゃぐちゃ事件の顛末である。
追記:『文壇うたかた物語』(筑摩書房)は、いまでも容易に入手可能です。おもしろいので、どうぞ。