山下清の文章。

 きのうにつづいて山下清、ということで
 『日本ぶらりぶらり』(ちくま文庫/山下清著)
を読んだ。一九五八年に出た本の、文庫版(一九九八年)。巻末の方には「山下清年譜」あり。

 この旅行記は、『文藝春秋』に連載し、読者賞まで得たという。やはりおもしろいのだが、せつなくもある。
 〈長崎へいったら、新しい服をきて下駄をはいてきたと新聞にだされた。ぼくはぼろぼろの服をきていた方がいいのだろうか。もう放浪はやめたのだから人なみの服をきてあるいてもいいだろうとおもうのだが、やっぱりぼくにはあわないらしい。〉
 〈ぼくは新ぶん社の人があんまりいろいろきくので何といっていいかわからないので困ってしまう。一年のうちで暑いときがすきか寒いときがすきかときくので、ちょうどいい季節がすきですというと笑われる。パンツがすきかフンドシがすきかときかれたときは、ほんとうに困った。そんなことを新ぶんにかかれるのは恥かしいので、返事をしなかった。〉

 「あとがき」は、式場隆三郎。これと、寿岳章子さんという言語学者の「解説」を読むことで、山下清の文章、というものについて、あるていどのことを知ることができ、興味ふかい。

 「あとがき」によると、この本は、〈清のかいたものに私が手を入れたり、清の口述を私が筆録したものである〉という。〈私の添削や筆録がうますぎて、清らしくないという評があるときく〉が、〈清の意図したことは誤りなく書いたと思う〉、そして、これは〈清と弟の辰造と(略)私との三人の合作ともいえる〉と述べている。
 また、こういった共同作業は、おおくの作家や芸術家などもおなじであって、特別なものではないということを書いているが、こういった釈明が必要とされるような、かれらにたいする疑いの目、というものがあったのだろうか。まぁ、式場というひとは、たしかに少々ウサン臭いところがあるが。

 寿岳さんの「解説」では、山下清のじっさいの「日記」、ナマの文章についてふれている。その「日記」といわれるものの性質であるとか、「。」でなく、「ので」によって長々とつながっていく、というような特徴的な文法などなど。このへんに興味をもたれた方は、じっさいに読んでみてほしい。
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by taikutuotoko | 2004-09-30 21:43 | 本・雑誌・新聞・書店


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